結婚の準備が始まった
- 父との挨拶
- 突然の電話報告で結婚の承諾を得た私達ですが、まずは正式に挨拶をするのが本来の姿。急いで飛行機の切符を取り、二人の田舎である沖縄に向かいました。まずは両家の顔合わせを兼ねての食事会。結婚式を執り行いたいと思っていたホテルのレストランで顔を会わせました。結婚を決めるまで5年のお付き合いをしていたのですが、両家の親のタイプは正反対;;;;
夫の両親は、結婚の有無は関係なく、お付き合いをしている女性に対して、必ず紹介をして欲しいタイプで、よく一緒に食事などもしていました。なので、私は特に緊張もする事なく、久しぶりに会う夫に気軽に対面したのですが、反対に私の親は結婚を決めた相手以外は紹介の必要はないと常々言っていたので、夫は初顔合わせ、父と夫の緊張が手に取る様にわかりました。
私は長女で、私の家にとっては初の結婚。夫はすでに兄弟が全て結婚している状況でしたので、同じ結婚話と言っても、親の気持ちは大きく違っていたのでしょう。夫の父は二つ返事で結婚を承諾していましたが、後で聞いたところ、長女の結婚の報告の時、お相手との顔会わせを2度断ったという逸話を持っていました。
私の父の不機嫌な様子も、嫁を貰う立場と嫁に出す立場の違いもあるのかと、男女二人の子どもを持った今なら気持ちもよくわかります。遠距離で結婚に対する儀式を行っていかなくてはならない私達は感傷に浸る時間はなく、急ぎ足で様々な事を決めていく必要がありました。結婚式はいつにするのか。結納を行うかどうか。行うならどこでどういった形で行うかなどです。
- 結納の儀式
- 結婚式披露宴は約1年後、顔合わせをしたホテルで行う事になりました。結納は3ヶ月後に私の自宅でという運びなり、略式で行う事になりました。結納においては全く知識がなく、夫の母親から「沖縄の冠婚葬祭」と言った分厚い本を渡されたのです。結婚の儀式においては地方地域差が大きい事は知っていましたが、こちらと沖縄の結納がどう違うのかはわからないまま、とりあえず、言われた通りに準備した覚えがあります。(詳しくは沖縄における結婚式の一般的な知識と祝儀の相場でご紹介)ひとつだけはっきり覚えている事は、結納の儀式が全て終わってお開きになった瞬間、私が夫の家族と共に、夫の実家連れて行かれた事です。なんだか訳のわからないうちに連れて行かれ、仏壇に報告をして私の実家に帰ってくると、これまた、何が起ったかわからない状態で放り出された、私の父が不機嫌で待っていました。
後で、友達などに聞いたら、そんな儀式は始めて聞いたと。それは夫の家のしきたりだったのかもしれません。しかし、私達が遠距離で、意思の疎通が上手くいっていない両家なので、揉め事を避けるためにも、心に決めて貫いた事があります。それは、これから行う結婚の儀式や披露宴の内容などはすべて私達二人で決めて、それに参加してもらう形にしようということです。もちろん口を出さないでいてもらう以上、金銭的な援助も求めない事にしました。こういった形は親にとっても面白くない事か知れませんが、私達らしく、様々な事を出来るだけ手作り感を出して執り行って行きたかったのです。この点においては成功だったと思います。
- 結婚式で決めた条件
- まず、宣言した事は仲人を立てない事です。現在では仲人を立てるのは1%くらいの少数派ですが、私達が結婚した16年前では、仲人が立ち会う結婚が当たり前でした。実際、どちらの親にも、そんな式には出た事がないと反対されましたが、私達には全く不必要な存在でした。
親の知り合いなど、私達が全く知らない方にお願いしても今後、礼儀を果たすことも出来ないし、わざわざ東京の職場の上司にお願いするのも、筋が違うと思っていましたので、仲人の存在は考えもしなかったです。今思うと、私達が結婚をした後の披露宴では仲人がいない場合が多かったので、ちょうど、変化の時代であったと思います。しかし、親世代にとっては非常識極まりないと感じたようです。何事も変化の最初は揉めるのでしょうね。